宮本の中学での所属は、熊本・秀岳館の元監督で、県立岐阜商業の監督に就任した鍛治舎巧が作ったオール枚方ボーイズ。一歳上には藤原がいて、ボーイズリーグのタイトルを総なめにした同チームで野球の腕を磨いた。
◆「自分の甘さの結果です」
野手の打席数を保証するシステムは、育成に定評のある北海道日本ハムファイターズから学んだものだ。
「僕は監督になりたての頃、下手くそな選手は試合に出なくていい。まずは試合に出られるところまで練習で持って来てからが競争だと思っていた。ところが、プロの2軍でも所属選手に打席を保証することを知って、目から鱗でした。今はなるべく平等にチャンスを与え、這い上がってきた選手を起用しようという考えです」
頻繁にAとBの入れ替えは行われるものの、両者の間には明確な線引きがされ、B戦に臨むメンバーは甲子園で着るあのアイボリーのユニフォームではなく、セカンドユニフォームで戦う。
基本的に監督の西谷はA戦に帯同するため、部長の有友茂史のほか、石田寿也と橋本翔太郎の両コーチが分担してB戦を率いる。有友は言う。
「私が指揮する場合、基本的にサインは出しません。個人で準備してきたことをいかに実戦の場で発揮できるか。監督とコーチを含めた普段の会話の中で、『この子はA戦で試したい』とか『あの子はもう少しB戦で自信を付けさせたい』と判断しています。現代の子は、試合の結果で自分の力を推し量るんです」
昨秋の大会ではメンバー入りしながら、センバツの開幕直前にB戦に回ったのが2年生投手・中田惟斗だ。和歌山・御坊ボーイズ時代は、U-15サムライジャパンに選ばれた選手である。