右下の「二本の線」と「松」の字が描かれた傘を持つ人物は、二本松藩である。二本松藩は、7月29日の大壇口の戦いでほぼ壊滅した。左下で転倒しているのは、「平」の文字からわかるように、磐城平藩である。磐城平藩が正式に降伏したのは、7月14日のことだった。
中央にいる二人のうち、向かって右側の人物の傘には「土州屋」、「内」などの文字が見える。土佐藩である。その左側は、「長」や「官」と「臣」を混ぜた文字から、長州藩と判明する。この長州藩、向かって左隣の男性に何か言っているようだ。「何を こしゆくな(こしゃくな) へンつがもねへ」とある。「つがもない」とは、「訳もない、他愛もない」の意味である。
この言葉を投げられているのは、「羽州屋」、「米」などと書かれた傘を手にした男性。彼は米沢藩である。「こんどハ おれが あいて(相手)だハ」などと威勢の良いことを言っている。先ほどの長州藩の言葉はこれを受けてのものだろう。米沢藩の敗北が決するのは8月に入ってからで、この絵が描かれた頃は、まだ彼らの奮戦に期待する江戸っ子は多かったということだろう。
そして、一番右側、真ん中にいる「會」の字、「若松町」などの文字が見える傘を持つ人物、彼こそ会津藩である。会津藩の傘は全く破られておらず、「ならバ てがらに ゆぶつて(破って)みろ」と威勢よく言い放っている。現代風に言えば、「やれるもんなら、やってみろ」のような意味だろう。東北の戦況は旧幕府側にとって厳しいものになっているようだが、まだ会津藩がいる。江戸っ子たちの、そのような思いが込められているようだ。
【PROFILE】森田健司●1974年兵庫県生まれ。京都大学経済学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。博士。専門は社会思想史。著書に『西郷隆盛の幻影』、『明治維新という幻想』(ともに洋泉社)などがある。
※SAPIO2018年3・4月号