安倍晋三・首相の連続在職日数は「2000日」に迫ろうとしている。ついに佐藤栄作、吉田茂という「大宰相」に次ぐ歴代3位の長期政権となった。
安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法改正、規制緩和、日米同盟の再構築など、「大勲位」中曽根康弘・元首相の背中を追いかけてきた。いま、安倍氏は中曽根氏をすでに在職期間で追い抜いたが、国民の目に映る安倍氏の姿は“大宰相”とはほど遠い。
安倍首相と中曽根氏に共通する強い思い、それが憲法改正だ。海軍主計少佐で終戦を迎えた中曽根氏は、米軍占領下で実施された戦後最初の衆院総選挙(1947年)で初当選すると「憲法改正」を主張し、これまでに3つの憲法改正私案をまとめている。戦後70年以上、憲法に向き合ってきた保守政治家だ。
ところが、首相時代は、衆参同日選で大勝利を収めた後も、憲法改正に踏み込もうとはしなかった。政治学者の後房雄・名古屋大学大学院法学研究科教授が指摘する。
「中曽根氏は現実政治家。当時の政治状況は、日米同盟強化が重要課題で、米国が望んでいない改憲は事実上不可能だった。国民のムードも踏まえ改憲の機は熟していないと判断し、国鉄や専売公社、電電公社の民営化などできる課題に取り組んだ」
政治状況を計算して行動をコロコロ変えることから中曽根氏は、「風見鶏」と呼ばれたが、それは国民のニーズを敏感に読みとったからだ。憲法改正は政治家としての悲願であっても「時に非ず」と判断すれば押し切ることはしなかった。自叙伝『自省録』の中でこう書いている。
〈もう戦争はこりごりだという国民の思いに理解を持った人間でなければ、民衆の協力を得て、改憲などできるわけがありません〉