ほとんどの人にとって、「実家」は心安まる場所だろう。それは、来年皇后となることを控えられた雅子さま(54才)も決して例外ではない。長く海外生活を続けていた両親の帰国に、しかし不安を覚える声も聞こえてきて──。
東京・元赤坂にある赤坂御用地には、大小合わせて6つの門がある。北西に位置する明治記念館に面した場所にあるのが、東宮御所正門だ。6月17日の夕方6時少し前、その門を通って続々と車が御用地内に入っていった。そして6時半過ぎ、天皇皇后両陛下を乗せた車も、静かに到着した。
その夜、皇太子ご一家のお住まいである東宮御所で、皇太子ご夫妻の「銀婚式」を祝う内宴が執り行われた。
「参加されたのは、両陛下をはじめ皇族方や元皇族など50名ほど。食事はホテルオークラのケータリングで、ご夫妻への祝福の言葉のほか、先日イギリス留学から帰国されたばかりの佳子さまの現地での生活ぶりも、話題にあがったようです。愛子さまは、周囲のお話にニコニコと笑顔で相づちを打たれていたそうです。
食事中は宮内庁の楽部が音楽を演奏し、食後にはご夫妻と以前から交流のあるピアニストとバイオリニストが登場したといいます」(皇室ジャーナリスト)
内宴の食事メニューや催しなどは、ホスト役の雅子さまが中心になって決められたというから、好調ぶりが伝わってくる。来年5月に皇后となられる日に向けて、雅子さまは着々と準備を進められている。それは、雅子さまの周囲にとっても同様だ。6月7日、雅子さまの父・小和田恆氏が、オランダ・ハーグにある国際司法裁判所の判事を退任した。
「2021年までの任期を残しての、途中退任です。85才という高齢であることに加えて、雅子さまが皇后となられたときのことを考慮しての判断だったようです。先立って今年2月に、安倍晋三首相に退任の意向を伝えました」(政治ジャーナリスト)
小和田氏が判事に任命されたのは2003年。2009年には同裁判所の所長になった。2012年の所長退任後にも判事を継続し、ハーグを拠点にした生活を続けた。もちろん、年末年始などには一時帰国していたが、今回判事を退任し、日本に戻ってくることになれば、およそ15年ぶりのことだ。
だが、小和田氏と優美子さん夫妻の帰国に、一抹の不安を漏らす声がある。宮内庁関係者が明かす。
「外交官だった小和田氏とともに、雅子さまは幼少の頃から当時のソ連やスイスでの海外生活を送られました。周囲に日本人が少なかったということもあるのでしょうが、雅子さまと小和田夫妻の結びつきは強かった。『仲のいい家族』という程度ならよかったのですが、雅子さまが皇室に嫁がれてから、その固い絆がマイナス方向に見られることがありました。小和田夫妻の帰国によって、それが再び起こってしまうのではと危惧されているのです」
◆雅子さまがこぼされた「私の実家では…」
雅子さまは、1986年に皇太子さまと運命の出会いを果たされ、1993年に皇室に嫁がれた。
「皇太子さまからのプロポーズを“住む世界が違いすぎて、自信がありません”と一度断られたほど、雅子さまは不安を抱えられていました。民間初の皇太子妃として嫁がれた美智子さまは、かつてつらい思いをされました。雅子さまに同じ経験をさせてはならないと、雅子さまと実家との専用電話も設置され、優美子さんはマイカーで荷物を運び込んだりと、当時の東宮仮御所を頻繁に訪れていました」(ベテラン皇室記者)
心細い思いはさせたくないという美智子さまの配慮だったのだろう。だが、それが思わぬ批判を呼んでしまう。