「結婚後2か月で、優美子さんが雅子さまの元を訪ねたのは十数回に及びました。雅子さまと実家との距離感が近すぎて、“嫁いだという自覚があるのか”という批判が起こりました。雅子さまが、“私の実家では…”と、皇室のやり方に異を唱える場面も何度もあったといいます。皇室のやり方になじむことは、小和田家のやり方を否定されるようにお感じになっていたのでしょうか。美智子さまが嫁がれた際に正田夫妻が“娘は皇室に差し上げた”と話したことを引き合いに出し、小和田夫妻へのバッシングにも繋がりました」(前出・ベテラン皇室記者)
2001年12月に雅子さまが愛子さまを出産された際には、小和田夫妻が、両陛下に先んじて病院を訪れたということもあった。2004年3月、前年末から体調を崩されていた雅子さまは愛子さまを連れ、長野県軽井沢町にある小和田家の別荘での療養に入られた。
「民間の別荘に皇太子妃が滞在するのは、警備上の問題がありました。また、皇太子さまがお見舞いに行かれることに“小和田家は皇太子殿下を呼びつけるのか”という批判まであがりましたが、別荘での療養は続けられました」(前出・ベテラン皇室記者)
雅子さまが適応障害の療養生活に入られたのと前後して、小和田夫妻はオランダに渡った。それから長い時間をかけ、雅子さまは快復のステップを歩まれてきた。その間は、年に数度、顔を合わす機会があった程度だ。
冒頭の内宴には、陛下の妹にあたる島津貴子さんや、紀子さまの両親・川嶋夫妻らも参加した。雅子さまの双子の妹である礼子さんと節子さんの姿もあった。
幼少の雅子さまは、妹たちの面倒を進んで買って出られるほど、礼子さんと節子さんとは「仲よし姉妹」だった。療養中には、雅子さまの支えになるべく“お世話係である女官に礼子さんを据えるべきだ”という意見が出たこともあった。
「昨年、節子さんは19年連れ添った男性と離婚しました。子供もおらず、現在は目黒区内の雅子さまのご実家でひとり暮らしです。今後、皇后としての重圧や負担の増す雅子さまのために、今度は“節子さんを側近に”という意見が出てもおかしくありません。
小和田夫妻の帰国と、妹の側近化が、小和田家にとっても20年前の批判の汚名を返上する機会と考えているかもしれません。しかし、せっかく“実家離れ”をされたのに、再びかつてのようなマイナスの結びつきになってしまわないかと不安が囁かれているんです」(前出・宮内庁関係者)
だが、別の宮内庁関係者はそれを否定する。
「雅子さまは確かに、小和田家の娘としてふさわしく育てられてきました。そこから離れられ、『皇族』となられるには時間もかかったでしょう。しかし今や、次期皇后で、ご自覚も以前とは比べものにならないほど強くなっています。
一時の登校不安などから愛子さまが脱却されたのも大きく、それに何よりも、雅子さまには皇太子さまがいらっしゃいます。そうした心配は杞憂に終わるでしょう」
銀婚式に際しての文書回答で、雅子さまは25年後の金婚式の「金メダル」を目標に掲げられた。これからも、ご夫妻は共に手をたずさえて歩みを進められていく。
※女性セブン2018年7月5日号