認知症の母(83才)を介護するN記者(54才、女性)が、介護における苦悩を明かす。それは、同様に認知症の母を持つ女性と接点を持った時に感じたことだ。
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今でこそ、予測不可能な母の行動も笑って受け止める余裕ができたが、認知症、そして要介護と認定された当初は本当につらかった。あの闇を抜けられたのは、医師や介護職、同じ状況の多くの人たちと話し「なんだ、案外大丈夫」と思えたことが、大きかったかもしれない。
「あら~! 奇遇ねぇ」
ひと月半に1回、母の付き添いで訪れる内科クリニックでのこと。母と同年代の女性がやはり娘さんに付き添われ、親しげに声をかけてきた。どうやら、同じデイサービスの仲間らしい。名前を呼び合わないところをみると、あちらも恐らく認知症だろう。
最近、少しわかってきた。母の認知症は、数分前のことは忘れるので名前は覚えられないが、何度も楽しく過ごした時間や、会話などが盛り上がった人のことは、フィーリングで記憶に残っていて、再会すればちゃんと思い出す。
「ねぇデイサービス、今日はお休み?」と女性が聞いた。
「そうねえ…」
母は恐らく今日が何曜日かもわからないので曖昧に答えたが、会話は成立。と、再び女性が問うた。
「そう…。ねぇデイサービス、今日はお休みかしら?」
母の場合、ここまですぐに同じ話を繰り返すことはないので少々驚いたが、何よりその女性が朗らかで、母と共通の話題を楽しむ様子がほほえましかった。すると母も、絶妙な間合いで相づちを打つ。
が、次の瞬間、金切り声が響いた。
「やめてよ、お母さん! 何度も何度も同じことを!」
半泣きの娘さんだった。思い詰めて疲れ、苦悩と我慢が限界点に達したのだろう。母も女性も、凍りついたように黙り込んだ。
◆認知症医療第一人者の言葉に吹っ切れた日
私も娘さんと同じ心境の時があったから、彼女の涙や震えがよくわかった。前にも後にも進めない闇の中の絶望感。同じ話を繰り返すなど、傍目には大したことではないから、余計に孤独なのだ。
私の場合は母の認知症発症直後から、不安解消のために手当たり次第、勉強会や市民講座に参加した。そこで何という幸運か、精神科医の長谷川和夫さんの話を聞く機会を得た。母の認知症診断にも使われた『長谷川式簡易知能評価スケール』の考案者で、認知症医療の第一人者だ。
間近で質問できる講座で、私は思い切って手を挙げた。
「母が認知症になり、つらい。だから母に認知症であることを伝えていいでしょうか」