サッカーW杯ロシア大会は、フランスの20年ぶりの優勝で幕を閉じた。開幕前、3戦全敗が予想されていた日本はグループリーグを勝ち上がり、決勝トーナメント1回戦でもベルギーを後半途中まで2対0とリード。初のベスト8進出を期待されたが、74分に同点に追い付かれると後半ロスタイムに勝ち越され、2対3で敗れた。
グループリーグ第3戦のポーランド戦では0対1と負けていながらも、後半ボール回しで時間稼ぎをして決勝トーナメント進出を狙ったことで、海外メディアから批判の声も出ていた。日本では「ドーハの悲劇の教訓が生きた」という声もあれば、「メキシコ五輪でも同じような場面があった」というオールドファンの意見も上がってきた。
日本が後半のラスト11分間に攻撃する意志を見せず、自陣でボール回しを行なったことでクローズアップされた“メキシコ五輪グループリーグ第3戦・スペイン戦の引き分け狙い”を詳細に振り返ってみよう。
1968年のメキシコ五輪で、日本はブラジル、ナイジェリア、スペインと同じB組に入る。初戦のナイジェリア戦をエース・釜本邦茂のハットトリックで3対1と勝利すると、続くブラジル戦は1対1の引き分けに持ち込み、日本は勝ち点を4とした。
運命のスペインとの第3戦、他会場のブラジルがナイジェリアに3点差以上を付けて勝たない限り、日本は引き分け以上で決勝トーナメント進出が決まる。
蓋を開けてみなければ、ブラジル対ナイジェリア戦がどんな展開になるかわからない。当初、日本は勝利を目指していた。しかし、後半20分の時点でナイジェリアがブラジルを3対1でリードしているという会場のアナウンスを聞き、長沼健監督は引き分けでの2位通過を狙った。