言葉遣いの誤りを指摘するのは難しい。その相手が、専門家としての見識や論述が尊敬できる人であればなおのことだ。評論家の呉智英氏が、紛らわしい言葉遣いについて批判する。
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いささか気が重いのだが、批判しておかなければならない。朝鮮史研究者の古田博司のことである。
古田は、一九八〇年代に登場した研究者で、従来の単純な贖罪史観論者とは全く違っていた。韓国の現代社会に詳しいのみならず、朝鮮漢文の文献も自在に読みこなす。深い学識から学ぶところは多く、私は大学の比較文化論の授業で古田の著書のプリントを何度も使ってきた。
ところが、ここ数年古田の書くものに奇妙な記述が目につく。論旨や主張ではない。言葉である。
ちょうど今店頭に並んでいる月刊誌「正論」八月号に、古田は二本の評論を寄稿している。一本目にこんな一節がある。
「『女の子たちはおなかを減らしているのだ』というアブダクション(類推)と、『みんな好きなだけ注文して食べていいよ』という、ロゴス(言葉)とどちらが先か」