第100回全国高校野球選手権千葉大会、7月24日の準決勝で惜しくも敗退した市立船橋高校。マウンドを熱く盛り上げた話題の傍らに、ひとつの曲がある。
『市船soul』──SNSでは「この曲がかかるとヒットが出る」「神曲」と、市船の第一回戦から話題となっており、動画なども多くあがっている。
この曲を作ったのは、市立船橋高校に在籍していた故・浅野大義さん。2013年、高校3年生の吹奏楽部在学中に『市船soul』を作曲した彼は、2017年1月、がんのため20歳の冬に短い生涯を閉じた。
彼の告別式には、市立船橋高校吹奏楽部OG・OB164人が集まり、この『市船soul』を演奏。たったひとりのために集まった、たった一度きりのブラスバンド。この日に起こった小さな奇跡については、浅野さんの母が朝日新聞『声』欄に投稿、その後『報道ステーション』でも特集されるなど、話題を呼んだ。
浅野さんを主役とし、小さな奇跡の告別式について綴った『20歳のソウル 奇跡の告別式、一日だけのブラスバンド』を執筆した作家・中井由梨子さんも、報道を目にして感銘を受けた一人だ。ただ、彼について取材したいと思い立ちつつも、関係者にコンタクトをとることにはとても躊躇したという。
「大義君のことでお心を痛めていらっしゃるご遺族の方に、見ず知らずの人間がいきなりお話を伺うというのは、メディアの端くれとはいえ、人としてどうか──と悩みました。とはいえ、大義くんについてもっと知りたいという思いは日に日に強くなっていきました。そこで、吹奏楽部の顧問である高橋健一先生にご連絡させていただきました。当時新聞に載ったこともあり、先生のところには予想をはるかに超えた数のメディアからの取材依頼や再現ドラマの依頼などが来ていたそうです。ただ、そのあまりの誠意の無さ、情熱の無さにがっかりされておられました。そんな状況だったので、最初は消極的でいらっしゃったと思います。そんな中でもお時間をつくっていただき、先生と言葉を交わすところから、大義くんと出会う日々は始まりました」(中井さん)
中井さんはその後、浅野さん家族をはじめ、市船高校吹奏楽部の仲間たち、そして当時の彼女とも仲を深めていく。取材のはずが、録音を忘れたまま昼食から夕食まで盛り上がることも数多くあったという。
「取材をしながら皆さんと時間を過ごす中で印象的だったのは、誰もが笑顔でお話しされることでした。大義くんとのエピソードって、だいたい笑い話、爆笑になるんです。でもそのうち、笑っていた顔が急にくしゃくしゃになったり、急に目から涙がこぼれたりする。そんな瞬間をたびたび目にして、『今まで当たり前にあった存在を突然亡くすという喪失感とはこういうものなのか』と、目の当たりにしました」
身近な人々との濃密な時間が、中井さんを突き動かした。