サッカーやラグビーで、お気に入りのチームが出場する試合のチケットを購入したとしよう。試合の日が近づくのを、毎日、楽しみにしていた。ところが、あいにく試合当日の天気は大雨。ゲームは、どしゃぶりの雨の中で行われることとなった。
雨中の観戦は壮絶なものとなる。観客にとって、試合を観戦することの効用よりも、大雨のせいでずぶぬれになってしまう不効用の方が勝ってしまうかもしれない。
ところが、それにもかかわらず、チケットを購入した人は、試合観戦に行こうとする。なぜか? チケットの費用は、既に支払ったもので、試合を見にいってもいかなくても、とりかえせない。それならば、どんなにひどい大雨でも、かかった費用の分だけ試合を観戦して効用を得ないと損だ、と考えるからだ。
このように、既にかかってしまっていて、いまさらとりかえせない費用のことを、経済学では「サンクコスト」(埋没費用)と呼んでいる。
サンクコストは、過大視されやすい。人は、サンクコストにこだわり過ぎて、ついつい不合理な判断をしてしまうといわれる。
ここで、もし、試合のチケットが自分で購入したものではなく、誰かからもらったものだったとしたらどうだろう。この場合、サンクコストはない。試合観戦の効用と、大雨による不効用を天秤にかけて、不効用のほうが大きいと判断すれば観戦にはいかない。合理的な判断が可能だ。
サンクコストは、過去に起こってしまった費用である。今後、どのように判断や行動をとっても、とりかえすことはできない。逆にいえば、サンクコストがどれだけかかっていようと、これからの判断や行動によって生まれる効用や不効用に影響を及ぼすこともない。
つまり、過去のサンクコストと、現在や将来の効用や不効用は、時制が異なっているので切り分けて考えるべきだ。合理的に考えると、サンクコストにこだわるのはナンセンスといえるのだ。
にもかかわらず、サンクコストは、どうしても気になってしまう。そこには、「もったいない」という日本の人によく見られる意識も、影響しているのかもしれない。