認知症の母(83才)を介護することになったN記者(54才・女性)。母は元来、何事もキチンとしていたい人。だから、尿もれなどの排泄トラブルを抱えていたら、さぞストレスだろうと考えていたが、母は“その領域”に踏み込むことを許さなかった。気持ちはわかるものの、どのようにケアしていけばよいかN記者は悩んだという。
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高齢の親を持つ友人たちが、よくため息まじりに嘆くのは排泄トラブルだ。単なる老化現象としてちょっと“もれる”のは普通のことらしいが、後始末を家族に手伝ってもらう必要が生じると、事態は一気に深刻化。家族が使う生理用品やティッシュペーパーを厚く畳んでこっそり当ててみたり、汚してしまった下着を部屋の死角やたんすに隠したりするようになる。
“介護あるある”と言っていいほどポピュラーな話だ。
家族ももちろん苦労するが、当人の気持ちになって考えれば、恥ずかしくて情けなくて申し訳なくて、そのストレスたるや相当なものだろう。ましてやわが母の場合、その苦悩は耐えがたいはずだ。
母は元来、几帳面で何事もキチンとしたい性格。若い頃は「だらしないのはダメよ」が口癖だったし、認知症になった今も、母がひとりで暮らすサ高住の部屋はいつもピシッと整理整頓されている。
洗濯や着替えは今のところ自分でできているので、もれて困った状況になっても、私がすぐに気づくことはないが、もし“そのとき”が来たら母はどんな反応をするだろう。
父の急死や、私が急かした認知症診断の直後、自分の症状に戸惑い、妄想で狂ったようになった母の様子を思い出し、いずれ訪れるかもしれない母のおシモ問題に今から頭を抱えている。
認知症に関しては、母は比較的すんなり受け入れた。晩年を二人三脚で歩むため、認知症であることを伝え続けたこともあるし、母の親族の多くが認知症になりながら、わりと穏やかに暮らしていることも影響していると思う。
「私、認知症だから、明日のお出かけの1時間くらい前にも電話ちょうだいね。忘れちゃうから」と、最近は几帳面な母らしく、ご丁寧に支援要請をしてくるようにもなった。だが、排泄問題に関してはまったく状況がつかめない。
「友達のお母さん、ちょっと尿もれが心配でパッドとか使っているんだって…」などと遠慮がちに話を振っても、「ふ~ん、年を取ると仕方ないわね」とそっけなく、さらに“その話題に触れるな!”というオーラも出してくる。