新潮45の休刊問題を契機にして、LGBTを巡る議論が喧しくなった。右も左も激しい言葉の応酬をしているが、果たして当事者たちはどのような思いを抱えているのか。評論家の古谷経衡氏は、ゲイの聖地「新宿二丁目」に足を運ぼうと思い立つ。
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雑誌『新潮45』休刊問題で「一躍脚光」を浴びた文芸評論家の小川榮太郎。事の顛末をここに詳細に書く必要もないだろう。LGBTに対する軽率で差別的な「作文」が内外から大きな批判を浴び、結局三十年続いた雑誌がひとつ無くなってしまった。
私は、同誌に八回も寄稿して「最終号」でも表紙を飾っただけに、正直やるせない思いである。出版業界で休刊は廃刊と同義である。嗚呼廃刊の悲しさよ。この鬱憤とも憤怒とも言えぬ感情を晴らすべく私は新宿二丁目に向かった。
二丁目と言えばゲイバーや(レズ)ビアンバーが集積しているのはご存知の通り。LGBTの当事者が小川の件をどう思っているか、聞いてみたくなった。
しかし、もはや二丁目はゲイバーの街、と一括りできるほど単純ではない。MIXバー(ヘテロセクシャルの女性や男性でも入れる)が繁茂し、外国人観光客が闊歩する。かつて性的少数者の出会いの機能を果たしていた盛り場は、すっかり観光地になっている。
目下、ゲイの出会いの主力として使われているのはバーではなくアプリ類。二丁目にわざわざ出向く必要もないのだから、時として秘匿性が重要視されるゲイ文化は、インターネット世界のつねに前衛にあるのかもしれない。