Kは、「ひょっとして真澄に再興した柳川組の跡目を継がせるつもりやったんかも知れん」と振り返る。谷川康太郎は、戦後の混乱のなか大阪のキタで暴れまわっていた頃からの第一の子分である。柳川組再興をその息子に託そうとしたのであれば、日韓関係を変えようともがきながらも、結局は苦楽をともにした身内のもとに回帰したと見ることができる。
その1年後に柳川は亡くなった。「自らの寿命を悟っていたのかもしれません」と真澄は静かに語る。
【PROFILE】たけなか・あきひろ/1973年山口県生まれ。北海道大学卒業、東京大学大学院修士課程中退、ロシア・サンクトペテルブルク大学留学。在ウズベキスタン日本大使館専門調査員、NHK記者、衆議院議員秘書、「週刊文春」記者などを経てフリーランスに。近著に『沖縄を売った男』。
※SAPIO2018年11・12月号