プロ野球の秋の風物詩となっている「トライアウト」──。所属球団の戦力外となった選手たちが挑む“ラストチャンス”として知られているが、ほとんど声がかかることはない。実は、トライアウトの場が選手たちの第2の人生の“スタート地点”となっている。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。
* * *
11月13日に開催された12球団合同トライアウト(タマホームスタジアム筑後)から、はや3週間が経過した。トライアウトを視察に訪れた球団が獲得を希望する場合、1週間以内に選手に伝えることになっている。
本稿執筆時点において、今年のトライアウトに参加した48選手(投手29人、野手19人)のうち、NPB(日本プロ野球機構)の球団に“再就職”できた選手は、横浜DeNAに決まった元巨人の中井大介(29)と、同じく埼玉西武に決まった元巨人の廖任磊(リャオ・レンレイ、25)。そして、トライアウト後、巨人の入団テストを受け、育成契約が決まった元ソフトバンクの山下亜文(22)の3人だ。
阪神を戦力外となった西岡剛(34)や東京ヤクルトから構想外を告げられた成瀬善久(33)といった名(実績)のある選手、あるいは3年前の甲子園準優勝投手である佐藤世那(元オリックス、21)でさえ、球団からの電話は鳴らず、行き場を失っている。待ちわびる連絡が来ず、引退を決断する選手も出てきた。
トライアウト参加者の置かれた現実はかくも厳しい。例年、この最終試練からNPBに生き残ることのできる選手はおおよそ3人ほどしかいない。それゆえ野球にケジメを付ける「引退式」としてトライアウトに臨む者もいる。
◆「歯科技工士になろうと思います」
今年、異色のトライアウト参加で注目を集めた選手がいた。元中日ドラゴンズの選手で、在籍わずか3年で2013年に戦力外となったあと、同球団のマネジャーを務めていた関啓扶(25)である。彼は5年のブランクを経て現役復帰し、トライアウトのマウンドに上がった。
「自ら退職を申し出て、その後、『トライアウトに参加してもよろしいですか?』と確認し、了承してもらいました。トライアウト後、NPBの球団からの電話はありませんでした。いくつかクラブチームからは声をかけていただいたんですが……」
トライアウトの日、関はNPBの球団から声がかからなければ専門学校に通い、歯科技工士を目指すと打ち明けていた。
「はい、当初の予定通り、2年ほど専門学校に通います。遠回りしてしまいますが、今後の人生を考えたら惜しくない2年だと思います。ずっと野球しかやってこなかったので、野球以外の世界で自分を試したい。その期待感の方が大きい。いずれはセラミックの歯を作ったり、マウスピースを作ったりして、野球選手をはじめとするアスリートを歯から支えていきたい」
関のように野球界から潔く身を引き、異業種に転職するパターンは稀だ。プロ野球選手の平均引退年齢は29歳。球団から戦力外となった選手のうち、およそ9割がなんらかの形で野球界に残る。しかし、西岡や成瀬のように実績のある選手なら解説者やコーチ業の話も期待できるだろうが、トライアウトに参加するような選手の多くが、実績が乏しかったり、育成枠で入団した無名選手たちである。
今年も106人が戦力外となった。プロ野球選手のセカンドキャリアをサポートする日本リアライズ(プロフェッショナル・セカンドキャリア・サポート事業部)の川口寛人(巨人の元育成選手で、2010年に育成ドラフト7位で入団し、わずか1年で戦力外になっている)は次のように話す。
「今年は実績のない2軍選手や育成選手が、戦力外となっても球団に残るケースが目立つ。といっても、重職に就くわけではなく、主に子供向けアカデミーのコーチなどです。しかし、こうした仕事は単年契約で、いつクビを切られるか分からない不安は残る。野球界から離れるのを先延ばしにすることは、前向きに社会人として生きていく機会を奪っているような気がしてなりません」
いきなり路頭に迷わせるわけにはいかないという球団の温情が、むしろ野球から離れることを難しくするというのだ。また、野球界から離れて一般企業に就職しても、離職率は高いという。
セカンドキャリアへの第一歩は、プロ野球選手としてのプライドを捨てることから始まる。