〈7月7日、七夕〉とは、自分が導師を務めて、嘉浩の通夜を営んだその夜のことだ。それにつづいて、嘉浩は、〈いのちの大空に、七夕の星々が 輝いています〉と記し、〈いのちの大空の下、いつも一緒です〉と君代に語りかけていた。
しかも〈いのちの大空〉という言葉を二回使っている。そして〈ありがとう ありがとう〉、さらには〈大丈夫 大丈夫〉と語っている。
今生のお礼としか思えない〈ありがとう〉を記し、その後の打ちひしがれている自分を見越したかのように〈大丈夫 大丈夫〉と励ましてくれているのである。
君代は、嘉浩がすべてをお見通しであったことを感じた。その上で「どうして、あなたは、そこまで人のことを思いやれるの?」と思った。やり尽くした償いと、それで培ったに違いない類いまれな人としての優しさ。死ぬまで罪と向き合い、犠牲者のことを考えつづけた二十三年の嘉浩の凄まじい獄中生活に、君代は涙の中で思いを馳せていた。
真実は、法務省の手で闇に葬られ、オウム事件はこうして「歴史」となったのである。
※週刊ポスト2019年1月1・4日号