これは宮内庁修史官の史料に対する一つの姿勢を示している。ここでは、単純な編年体叙述でなく、靖国参拝に関連する事柄について紀事本末体をとることが適当だと判断したのだろう。ただし、富田メモでの天皇発言の内容については、一切触れられていない。
古典的に言えば正史ともいえる昭和天皇実録への記録には、複数の文書や証言がなければ、一史料を直ちに平成時代の重要な政治外交トピックを左右しかねない叙述に使わないという慎重さの表れであろう。それと同時に、紀事本末体で事実を記録したのは、平成に生きる歴史家の責任感も帯びた修史官がぎりぎりで見せた意地だったのかもしれない。
※週刊ポスト2019年1月1・4日号