「私は逆玉で結ばれたこの仮面夫婦を最初から破綻させるつもりだったのですが、読者の皆様からは、杉村がかわいそうだとかなりお叱りを受けてしまいました(笑い)。普通は探偵の過去を事件と同時進行で振り返りますが、私は探偵が探偵になる前夜もきっちり書いておきたかったんです。
そして『希望荘』以降は中短編の形で杉村には場数を踏ませ、今は竹中家ルートの依頼が多いこともあり、身近な悪意が絡んだ普通の事件を普通すぎる探偵が見届ける格好になりました」
杉村事務所の記念すべき10人目の依頼人はさいたま市在住の主婦〈筥崎(はこざき)静子〉。彼女は相模原に住む長女・優美が突然自殺未遂を図り、入院先に駆けつけても婿の知貴がなぜか会わせてくれないと涙ながらに訴えた。
日付は2011年11月。震災以来、東電関連企業で要職にある夫は多忙を極め、優美の弟も北九州に赴任中だという。杉村は入院先や弟に事情を聞く一方、広告代理店に勤める知貴に電話を入れるが、常に留守電で返信もない。やがて相模原の新居の豪奢さに違和感を覚えた杉村は、知貴が所属する母校のホッケー同好会OBチームの存在を知り、奇しくもOBの1人〈田巻〉の妻が謎の転落死を遂げていた事実を掴むのである。
◆自分が怖いと思うことしか書けない
オシャレな暮らしぶりを日々ネットにアップするOB達とその妻の自己愛や、彼らを束ねる旧体育会系的絆など、その醜悪さは吐き気を催すほど。中には〈古いんじゃなくて、間違っているんです〉と言う気丈な後輩もいたが、常に犠牲になるのは女性や子供といった弱き者だ。その女性も愛情や保身から悪事に加担しかねない現実を、宮部氏はこれでもかというほど活写してしまう。