「たとえば徹底した発声訓練や舞台での立ち方とか、後になってから役に立ちましたね。声を二時間出しっ放しでも絶対に枯れない発声法が身に付きました。
あと、日生劇場がデビューでしたから、あの広いステージのどこにポジションをとれば自分がそこに存在できるかみたいなことも自ずと学びました。
舞台には必ずベストポジションがあるんです。小劇場でやっていても小劇場なりのポジション取りはできるかもしれませんが、そういう人がいきなり日生みたいな大きな舞台に立つと、そこでの存在の仕方に大変な想いをしているらしいです。おかげで僕にはその苦労はなくて。
そういう『場の文化』といいますか、それは時代劇にも繋がっていきました。たとえば居酒屋の場面でおちょこを置くにしても心地よい位置がある。昔の俳優さんやスタッフさんは、それを自ずと身に付けていたんだと思います。大道具さん、カメラさん、照明さん。ベストポジションを心得ていた。それが最近の時代劇となると気持ち悪い場所に置いてあるんです。誰もそれを気にかけないから。
役者もそうです。なんとなく置くと、観ていて違和感がある。お茶にしても、畳の上のどこに置いたら心地よいか、という場所があるんです。そういうことがちゃんとやれていると、観客も観ていて心地よくなります。昔の映画を観ていると、それを感じます。『あ、これが心地よさなんだ』って。
そういうことを含めた感性を──一言で表すと、そういう言い方になりますか──舞台を通じて仕込んでくれた時代が、四季の時代だったと思います」
●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。
■撮影/藤岡雅樹
※週刊ポスト2019年2月1日号