◆良くも悪くも運任せな鷹揚さ
思えば彼がいた時代に〈価格破壊〉、〈引きこもり〉といった言葉もまた生まれ、善良であることがますます難しくなる時、彼が〈悪意〉をどう処理するかは目から鱗が落ちるほど衝撃的だ。
バイト先の社長主催のバーベキューに参加した際、家族連れで来た経理の〈早乙女さん〉から、〈天真爛漫キャラで、社長に取り入ろうとしてる〉と世之介は嫌味を言われる。だがそれを愚痴る彼にコモロンは〈社長のまえでヘーコラしてる父親の姿を子供たちに見せたいか〉〈早乙女さんはもうその覚悟をしたんだ〉と言い、ハッとした矢先、彼は社内で起きた盗難の嫌疑をかけられるのだ。
〈何もかもが一気にさめて、そこに悪意だけがポツンと残った〉〈この盗難騒ぎが早乙女さんの仕組んだことだったとしたら〉〈これは早乙女さんの悪意になる〉〈ただ、世之介はとっさにそれを手放した。手放してテーブルに置いた。置いた途端、なぜか、それは誰のものでもなくなった〉
「もちろんこれは逃げでもある。でもよく言えば人の悪意を責めずに受け止めているとも言える。昔の日本人って何かに身を委ねたり人を信じてみたり、良くも悪くも運任せな部分があったでしょ。そういう鷹揚さを彼はまだ持っている。悪意が人を脅かし、自分本位でギスギスした空気に覆われる一歩手前のところにいた世之介的な軽やかさに、だから僕らは余計憧れるのかもしれません」