民主化要求の学生や市民を中国人民解放軍の実力で弾圧した1989年6月4日の天安門事件から、今年は30周年となる。そんなことから、習近平指導部は例年以上に民主化活動家らの動きを警戒し、厳重警備体制を敷いている。
当時の中国共産党トップで、民主化学生に理解を示したとして糾弾され、すべての役職や党籍までもはく奪された趙紫陽元総書記(2005年1月17日死去)の自宅周辺には私服や制服姿の多数の警官が警戒の目を光らせている。趙氏の長女である王雁南さんは香港メディアなどに「今年はいつもの年よりも、管理が厳重だ。でも、父は無実。亡くなった学生や市民も同じ。できるだけ早く父の納骨をしたいのに政府は許可してくれない」などと語り、政府の姿勢を批判している。
趙氏は中国の「第2世代」の政治指導者として党中央委員会副主席や首相、党総書記などを歴任したが、天安門事件で失脚。その後の数年間は自宅軟禁下に置かれていたものの、外出は比較的自由にでき、趣味のゴルフなどを楽しむこともできた。
しかし、1997年9月、第15回党大会に「天安門事件の再評価」を求める書簡を送った後は、外出を制限されることとなった。2005年に死去するまでの晩年の数年間は外出すらままならず、完全な軟禁状態での生活を余儀なくされた。
香港メディアなどによると、娘の王雁南さんは「父の遺骨を早く母の遺骨を一緒にして埋めてやりたい。毎年1月の命日が来るたびに政府にお願いしているが、今年もダメだった。毎年の6・4(天安門事件)の時期になると、警官が自宅周辺を取り囲むように警戒しているが、今年は例年に比べて、警官の数が多いようだ。これから6・4が近づくにつれて、もっと警戒が厳重になるに違いない」と述べているという。