新聞の投書から生まれた歌が感動の輪を広げている。
「先日、妻を病気で亡くしたのですが、この歌のように、最後まで妻を守ってあげたかったと後悔しています」(東京都・65歳男性)
「人生100年時代といいますが、同年代の妻に、最後に何をしてあげられるか、考えさせられました」(埼玉県・73歳男性)
リスナーからはそうした声が続々と寄せられているという。
きっかけになったのは、神奈川県在住の宮本英司さん(72歳)の他界した妻・容子さん(享年70)が、入院中の枕元に残した一節の詩。これが新聞の投書に載り多くの人々の目にとまった。糸井重里、横山だいすけを始め、著名人も「感動した!」「泣いた!!」とSNSに投稿、反響は大きかった。
詩は書籍化され、夫婦愛を伝えるノンフィクションとしてベストセラーに。そして歌へとつながった。タイトルは『妻が願った最期の「七日間」』──。
実はこの歌、英司さんがシャンソン歌手・クミコに、こんな手紙を送ったことで生まれたという。
〈容子は小腸がんという珍しい病気で、がんが見つかったときにはステージ4の末期がんになっており、余命2年と宣告されました。その後、懸命の治療を続けましたが、やはり病魔には勝てず(中略)。
あの日、容子と話をしているときに私の夕食が届いたのですが、私が食べられない容子を気遣って食べないでいると「気にしないで先に食べて」といってくれました。「ありがとう、じゃ食べるよ」と言って食べ始めると容子はうとうとしてそのまま眠ってしましました。その頃は痛みもひどくなっていて眠れないことも多くなっていましたので、私はゆっくりねむれてよかったなぁと容子の寝顔をみていました。
そしてそれが最後でした。容子はそのまま目を覚ますことなく明け方にこの世を去ったのです。
クミコさんの歌のように「今日という日が最後だとわかっていたら」もっともっと話したいことや伝えたいことがいっぱいあったのにと、CDを聞くたびにあの日のことが思い出され、辛くてたまりませんでした〉
クミコは、アメリカの詩人、ノーマ・コーネット・マリックが亡き息子に捧げた詩「最後だとわかっていたなら」を1年前、歌にした。これは2001年に起こった9.11米同時多発テロの際、消防士の息子を失った母がSNSで拡散して話題になったもの。
〈最後だとわかっていたら、一言だけでもいい、「あなたを愛している」と伝えただろう〉
この歌を聴いた宮本さんは、息子を失った母の姿に自分を重ね合わせ、クミコに手紙を送ったのだった。