──でも、M-1がなかったら、芸人を辞めていたかもしれないんですね。
塙:ちょっとそれは大袈裟なんですが、M-1がなかったら、自分たちの価値観を表現できる場所がなかっただろうと思うんです。今だったら、たとえばYouTuberが同じようなことを思っているかもしれません。YouTubeがなかったら、YouTuberが輝く場所がないのと同じで、僕らが芸人になった頃は、今ほどネタ番組がなかったし、「エンタの神様」は始まりましたけど、僕らの特性として、短い時間で若い女の子たちにウケるような価値観は作れなかった。「4分間の漫才」という、M-1だけが、唯一、自分たちでも表現できる場所だったんです。
◆しゃべくり漫才はロック、オードリーはジャズ、ナイツはテクノ
──ナイツの「ヤホー漫才」が誕生するまでには、紆余曲折があったんですね。ご自分には「小ボケ」が向いていると気づいたとか。
塙:「ヤホー漫才」誕生のきっかけは本に書いたことのほかに、実はもう一つあって、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が大好きだったんです。機械的で無機質なテクノ音楽が好きで、漫才で、そういうことをやりたいなと。で、一個ボケたら一個ツッコむ、それを機械的に繰り返すようなネタを作ったんです。3分くらいたつと、その無機質な感じが心地よくなって、次第にうねっていくのがミソです。途中に、僕が急にわけのわかんないことを言ったりするんですが、それは細野(晴臣)さんがよくやる、リズムのハネや転調へのオマージュですね。
──漫才ってある意味、音楽なんですね。関西のしゃべくり漫才はロック、オードリーはジャズ、そしてナイツはテクノと。なるほどと思いました。
塙:好きな音楽のリズムで、自分の漫才って変わってくるんでしょうね。ただ、僕らは機械的な漫才で注目されて、決勝まで行けたんですが、M-1という舞台ではもうひとつ勢いが出づらかった。そこに限界は感じました。
だから「THE MANZAI 2011(ザ・マンザイ)」で準優勝したときは、言い間違えのネタにのりピーを入れるなど、もう少し圧力が出るような、ロック寄りのネタをやったんです。経験を積んで、この番組ではこのネタをやろうとか、今日のお客さんにはこのネタは受けないだろうなとか、それなりにわかるようになってきました。
──リズムや音は、言葉にも影響されると思います。「漫才の母国語は関西弁」と書かれていますが、最近は、博多華丸、千鳥、U字工事など、方言を使うコンビの活躍が目立ちます。一方、東京の言葉の特徴って何でしょうか?
塙:関西弁に限らず、方言は感情を伝えるのに向いているんです。それに対して東京の言葉は、誰もが聞き取りやすいように、発展してきたんでしょうね。だから、勢いをつけにくいし、感情を表現しにくい。ストレートに物事を伝えやすい言葉と、そうではない言葉があるんだと思います。
たとえばネタで、「めっちゃ化粧濃いなあ」は使えるかもしれないけど、「化粧濃いですね」だと、ちょっとトゲが出るし、面白くもない。だから、たとえば「これから水商売に行くんですか?」と言うんです。同じ意味を伝えるにも、ストレートに伝えるよりは少し角度を付けたり、切り口をずらす癖が、僕たちにはついていますね。それが、僕らがネタにするってことかなとも思います。