修学旅行でも同じ光景が繰り広げられた。一般の旅行客であふれかえる京都駅の構内に「並べ!」「黙れ!」と教員の怒声が響く。驚いて振り返る人もいた。
「客観的に見れば、列を乱している生徒よりも、怒鳴っている教員たちの方が、よっぽど周囲の迷惑になっています。生徒を怒鳴り散らすことが当たり前になってしまい、それさえも気づかなくなっていた。
怒鳴っている方も、もちろん気持ちのいいものではありません。怒鳴る教員も怒鳴られている生徒も、どちらにもマイナスでしかありません」
怒鳴り声をあげないためには、一体どうしたらいいか。まず取り組んだのが、朝礼の見直しだった。
「そもそも教員も生徒も、ルール遵守が絶対と考えています。いずれ社会に出たら社会のルールを守らなければいけない。であれば、学校でもルールを守ることが大事だというのが、多くの日本の学校の理屈です」
朝礼も“一糸乱れず整列し、校長の話をありがたく聞かなければいけない”という暗黙のルールに縛られていた。
「そのルールを取り除いてしまったらどうだろう──発想の転換です。生徒が騒ぐとすれば校長の話がつまらないせいで、面白ければきっと耳を傾けるはずです。そこで私は、生徒が思わず聞き入るような、とっておきの面白い話を準備するように心がけました」
朝礼が騒がしくなるのなら、それは興味を持てない自分の話に責任がある。だから生徒が騒ぎ出しても絶対に怒鳴らないようにと、教員には根気強く説き続けた。もちろん、朝礼で騒いでいいと言っているわけではない。