1年の評価が金額で示される契約更改の場は、禍根を残すこともしばしば。グラウンドの外にはドロ臭い「年俸交渉」の球史がある。(文中敬称略)
時代が平成に移ると、交渉の揉め事を回避するため、各球団が「事前交渉」制度を取り入れ始めた。導入のきっかけになったのが、1991年オフの日本ハムの契約更改での“二大事件”だったという。
「エース・西崎幸広が、契約更改後の記者会見場に現われるなり、手に持っていたセカンドバッグを椅子に投げつけ“評価が低すぎる、一歩も引かない”と大激怒した。
西崎と同日に契約更改したストッパー・武田一浩も大荒れだった。1時間の交渉の末に、クイック投法でセカンドバッグを窓に投げつけた。折れ曲がったブラインドをよそに、会見で “低すぎる。2年も抑えをやってこれじゃ、リリーフなんてやってられない”と主張した。会見場でタバコに火をつけて落ち着こうとしたが、興奮しすぎて会話にならないほどだった」(スポーツ紙編集委員)
同時期に中継ぎとして活躍した巨人OBは、当時の中継ぎ投手の事情をこう明かす。
「ブルペンで準備した回数もポイントとして換算されていましたが、評価対象となるのが勝ちゲームだけだったため、チームが勝たないと年俸が上がらないシステムでした」