レバノンに出国した日産元会長のカルロス・ゴーン氏。日本を出国した12月29日から遡ること9日前の12月20日、本誌・週刊ポストは東京都港区にあるゴーン氏の自宅で直接取材交渉を行なっていた。その後、突然の出国──。レバノンの首都・ベイルートでの会見(日本時間1月8日)に続いて、本誌はゴーン氏に単独インタビューすることになった。日本時間1月10日、逃亡がなければ日本で面会する予定だった日だ。
ゴーン氏は、日本で面会した時と似た、ジャケットにノータイの格好で現われた。
まず尋ねたのは、12月20日に会ったときは「無実になる」と言っていたが、どんな心境の変化があったのか、ということだった。同氏はこう語る。
「無実であることは確信していた。しかし、それは公平な司法制度のもと、検察の支配がない中であれば、の話だ。国連では人質司法制度が問題になっているにもかかわらず、運が悪く、私は人質扱いの勾留を受けてきた。
何より問題は、最初の公判の日程が決まらなかったことだ。(逮捕から)14か月経ってもまだ決まらなかった。一つ目の罪状(有価証券報告書への虚偽記載容疑)に関する公判が決まっていない中、さらに他の罪状(特別背任容疑など)の公判については、一つめの公判が終わってからでないと日程が定まらないと言われた。最初の判決をもらうまでに4~5年はかかるだろうと考えられた」
彼がここで言っているのは、12月25日、クリスマスに行なわれた「公判前整理手続」での話である。ゴーン氏も出席したこの場で、最初の裁判が当初予定の4月からずれ込む可能性が高いこと、さらに別件の裁判は最初の裁判が終わったあとに行なわれる見込みであることが明らかになった。
それらの裁判は同時進行で行なわれていくと思っていたゴーン氏にとって、相当なショックだったようだ。