「本当は音楽家になりたかったんです。母はピアニストで音大でも成績は良かったのですが、家庭で教える程度の仕事しかできませんでした。それだけ修業した人でもそうなのに、僕が音楽の道──しかもロックやジャズの道で生きていけるかと、さんざん考えました。
その道で先はとても見通せません。だったら、五歳から修業を積んできた役者の道に進もうと。九歳で舞台に立った時、お客さんの歓声を快感として味わったこともあったので、向いてなくはないと思いました。
当時の目標としては、音楽も捨てずにやっていきながらいずれはチャップリンのように脚本、監督、主演、音楽、全て一人でやりたいという夢もありました。
それで前進座に入ったのですが、それまでは徳穂先生のお付きをしていても、一方では僕は稽古場で他のお弟子さんからお坊ちゃま扱いをされていたんですよね。先生のお世話をしながら、僕の世話は人がやってくれるという状態でした。
それが劇団に入ったら、全部自分でやらなければならないだけでなく、先輩の世話も僕がやらなければならない。その世界になかなかついていけなくて。
父の梅之助が劇団の後輩たちに物凄く厳しい人でした。それなのに息子は何もできない。それで、そこら中の先輩たちから総攻撃でした。それから劇団をやめるまで二十六年、ずっといじめ続ける人もいましたよ」
●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。
■撮影/黒石あみ
※週刊ポスト2020年2月14日号