「ホラーじゃなく怪談が好きなんです。ホラーが微に入り細に入り書いて怖がらせる足し算の文学だとしたら、日本古来の風土に根差した怪談は余白や行間に想像力を働かせる引き算の文学。『振り向くと白い服の女が立っていた』くらいで終わるからこそ、読者の中ではその人ごとに思い描く白い服の女性が立ちあがるわけです。
応募当時、中学生の息子にパソコンを買ったんです。その際にパソコン講習会の無料券がついてきたので、試しに私が通うことに。そこでブラインドタッチで文章を打つ練習をするのですが、他人が書いた文章を写すくらいなら、自分で何か書いてみたいと思ったのが、実は小説を書き始めたきっかけです。それまでは松山で普通に働く主婦で、老親を介護し、孫も7人います。
怪談の賞だからよかったんでしょうね。昨年が松山競輪開設70周年で、記念に何か心温まる話をと地元紙に頼まれたのですが、『私には心温まる話は無理、心凍りつく話なら書けますけど』って言ったぐらいです(笑い)」
昔から怪異そのものより、それを恐れ、見てしまう人間に興味があったといい、“ミステリー作家”に転身したつもりもないと言う。
「結局、お化けより何より怖いのは人間ですし、『この人にこんな一面が?』という目に見えない怖さが、私の書きたいものなんです」
人嫌いで生涯独身だった伯父の死後、遺産を元手に株式会社ザイゼンを興し、飲食業でも成功を収めた彰太は、確かに運にも恵まれていた。特に専務に迎えた敏腕コンサルタント〈田部井〉や、その双子の弟〈八木〉には創業以来何かと世話になり、頼れる味方だった。
家庭も円満そのものだが、心配なのは『白鳥の湖』の黒鳥役を見事に務めた直後、大好きなバレエを辞めてしまった娘〈美華〉のこと。名門・桜華台学園に小学部から通い、現在高2だが、明るかった娘が次第にふさぎ込んでいく姿に、何があったのかと父の心は揺れた。