「なんとか中堅アパレルに入りましたけど、そこは入社数年で倒産しました。せっかく入ったのに」
せっかく就職が決まってもバブル崩壊で会社が倒産、やむにやまれず失業した若者が多かったのも団塊ジュニアの特徴である。若くしていきなりの失業。その後のITバブルと米国住宅バブルの余波に救われた者もいたが、関係ないまま低空飛行するうちに40代を迎えた団塊ジュニアも多い。だが後藤さんは少し違う。
「私には嵐がありますから。嵐に支えられてきましたから」
そう、後藤さんは1999年に嵐と出会って、ずっと嵐に支えられてきた。嵐のために選んだ非正規の仕事。
「両親もうるさくありませんでした。実家は都心ですから出る必要はないし、家にお金を入れろとかもありません。私は一人娘。好きにさせてもらって、とくに尊敬する父親には感謝してもしてきれません」
後藤さんの父親は人文社会系の著名人、聡明な母親と両親そろって女性の生き方に対してリベラルな姿勢なので、心の平穏を優先して非正規で働いていることなども理解してくれているそうだ。なので後藤さんは心おきなく嵐のファンとして全力で応援してきた。両親が納得しているなら後藤さんの稼いだお金の使いみちも自由だろう。地方出身のために都心で生きているだけでお金が掛かる人頭税のような生活を送る人たちにとって、ある種の「人生のインフラ」がまるっと揃っている、後藤さんのように都心の裕福な家の生まれは羨ましい限りだろう。
「私も子供部屋おばさんですね」と後藤さんは自嘲していたが、都心の一軒家ならさすがに家を出ることもないだろう。まして一人娘。それに社会通念上、女性の場合は許される。子供部屋おじさん呼ばわりされている男性諸君は理不尽だとお怒りになるかもしれないが、子供部屋おばさんは許されるどころか後藤さんのような境遇なら「お嬢さん」なのが現実だ。田舎を18歳で出て風呂なしのボロアパート暮らしに始まり、賃貸を転々としたあげく一戸建てのローンに苦しむ私にとっても本当にこういう人は羨ましい限りだ。
「本当に好きなんです。嵐は私の一部なんです。わかってもらえなくても構わない。嵐が好きな私が私なんです」
ここまで言い切ってもらうと清々しい。絶対的幸福をつかむのは女性のほうが得意なのだろうか。幼い頃から競争と男根主義、立身出世のマッチョイズムを強要されてきた男性、とくに団塊ジュニアの男性はどうしても相対的な幸福に固執するあまり、しくじる傾向にある。出版社で売上げ競争とセクショナリズムに明け暮れた30代当時の私もそうだった。