大学入試改革をめぐる混乱や新型コロナウイルスによる長期間の休校が、大学受験を控えた高校生たちを翻弄している。2021年からは、2020年までの大学入試センター試験に代わって「大学入学共通テスト」が実施されるが、通常日程に加えて、コロナによる学業の遅れに配慮した2週間遅れの「第2日程」を設定することが報じられた。これを含め、受験生にとってはギリギリまで混乱が続きそうだ。
歴史を振り返れば、いまから半世紀以上前にも、突如東京大学の入試が中止になるという事件があった。背景や状況はまったく異なるが、当時の受験生はその混乱にどう向き合ったのか。当事者の思いを、近著『中学受験生に伝えたい 勉強よりも大切な100の言葉』が話題の教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏が取材した。大学受験を混乱の中で迎えた“先輩”の言葉は、いまの若者たちにも参考になるのではないか──。
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東大が入試の中止を決定。高校3年生の白柳哲夫さん(仮名)には、青天の霹靂だった。
「日本中の大学で多かれ少なかれ紛争は起きていましたし、海外でも学生運動が盛んな時期でした。同じ高校のなかにも活動している連中はいましたから、シンパシーこそ感ずれど、学生運動自体を特別なこととは思っていませんでした。正月も普通に過ごしていました」
しかし1969年1月18日、学生が占拠していた東大安田講堂に機動隊が動員され、学生との激しい衝突に発展した。19日、鎮圧。そして20日、東大入試の中止が発表された。東大が中止を決めたというよりは、当時の政権が見せしめ的に中止に追い込んだとする見方が一般的だ。
白柳さんは、通っていた首都圏の県立進学校O高校では学年トップの成績。まわりからも当然東大に入るものと期待されていたが、その道が突如断たれた。
「最初は驚きましたが、すぐに京大受験に頭を切り替えました。実は当時『東大病』という言葉があるくらい、東大一辺倒の受験文化に社会的批判があり、私自身も同様の疑問をうすうす感じていました。東大に行くにしても、エリートが行く法学部ではなく、経済学部を目指そうと思っていたくらいに複雑な思いがありました」
どうせなら最高峰の大学に合格して自分の実力を証明したいという思いとは裏腹に、自分が東大生になることには反発心があった。東大入試中止は、思いも寄らぬ形で白柳さんのジレンマを吹き飛ばしてくれる「渡りに船」だったというのだ。
例年、東大経済学部の定員は330人、京大経済学部の定員は220人。それが220人のみになってしまう。普通の受験生なら不平・不満を言いそうなものだが、そこでも白柳さんは違った。
「普段の東大よりも難しい試験で力試しができるなんて、これほどチャレンジングなことはない。俄然やる気が湧いてきました」
前代未聞のピンチを、千載一遇のチャンスととらえたのだ。