中西氏のようにチームメイトに三冠を“阻止される”ケースは少なくない。その典型が巨人の長嶋茂雄と王貞治。1963年は王が本塁打王に輝き長嶋の三冠を阻み、1968~1970年は長嶋が打点王を獲得して王に三冠を獲らせなかった。
岡本に置き換えて考えれば、坂本勇人ら巨人のチームメイトの調子もカギとなりそうだ。ただし、岡本の前を打つチームメイトが調子を落とせば、打点王が遠ざかるというジレンマも抱えている。
◆ヒットを狙ってチャンスを逃す
三冠王は、自分の力だけで達成できるものでもない。1979年のパ・リーグ、三冠王を狙える位置にいた阪急の加藤秀司氏(72、当時は英司)は、近鉄のマニエルと本塁打王争いを続けていた。迎えたシーズン終盤の近鉄との直接対決。すでに阪急が優勝を確実にして消化試合ムードが漂う中、近鉄リードで迎えた8回裏に加藤を1本差でリードするマニエルが打席に立った。
「誰もが勝負を避けると思ったが、マウンドの今井雄太郎は真っ向勝負。マニエルは今井の球をライトスタンドに放り込み、本塁打王争いの大勢が決まった。試合後に加藤が『消化ゲームでっせ。普通は歩かせるやろ』とボヤいたのを覚えている」(当時阪急担当の元在阪スポーツ紙記者)
加藤氏に当時の心境を聞いたところ、ぶっきらぼうにこう答えた。
「誰にでも思い出したくない過去はあるんや。消化試合でウチのピッチャーが打たれた。それだけや」