世襲政治家でない菅氏が、父親について言及することはほとんどない。しかしその実、政治家になる経緯において、父親ほど大きな影響を与えた存在は、恐らくいない。森功氏(ノンフィクション作家、『総理の影 菅義偉の正体』著者)がレポートする。(敬称略)
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「雪深い秋田の農家の長男として生まれ、地元で高校まで卒業いたしました。卒業後、すぐに農家を継ぐことに抵抗を感じ、就職のために東京に出てきました」
3人の候補者のうち、最も遅く自民党総裁選の出馬表明をした菅義偉は、9月8日の所信発表演説会でそう切り出した。貧農村の田舎者が東京に出て苦労を重ね、総理大臣に手が届く地位までたどりついた……。そんなサクセスストーリーのアピールが功を奏したに相違ない。菅内閣の支持率は60~70%台にのり、史上3番目の人気で船出した。
もっともこの苦労人物語には、虚飾が混じっている。さすがに気が引けたのか、近頃は上京の説明で「集団就職」というフレーズを使わなくなった。昨年4月まで自らのホームページの「すが義偉物語」の〈「自分自身の力を試したい」と思い立ち、集団就職で上京する〉とあった記述が、現在は〈……と思い立ち、家出同然で上京する〉という具合に変わっている。
菅自身は高校の卒業時に東京の段ボール工場の働き口を斡旋されたから「集団就職」だと言ってきた。が、中学を卒業して大勢で就職列車に乗り込んで上京するそれとはだいぶ異なる。
地元の秋田県立湯沢高校に通っていた菅は、両親から2人の姉と同じく高校教師になることを薦められた。のちの私のインタビューではそれが嫌だったと本人が語っていた。小、中、高校と同じ学校に通った元湯沢市議会議長の由利昌司は話した。
「大将(菅のこと)は大学に行くわけでもなく、何もやることがなかったのでしょう。毎日釣り三昧でした。朝起きたら、川に釣りに行くと言いだし、私も誘われた。で、親父さんは余計にカッカしてね。『おまえみたいなのは、農家を継げばいいんだ』となって、大将は反発したのさ」