住人の半数以上が65歳以上の高齢者で、共同体としての機能が危機に瀕している地域を指して「限界集落」と呼ぶが、それは過疎化がすすんでいた地方の山村や漁村といったイメージで語られることが多い。しかし近年、都市部のマンションでも同じような問題が噴出し「限界マンション」と呼ばれ始めている。俳人で著作家の日野百草氏が、今回は、関東近郊の限界マンションに住む70代管理組合長の奮闘と心境についてレポートする。
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「このマンションはお終いだよ、もうあきらめてる」
関東近郊の老朽化したマンション。倉庫を兼ねた管理組合室で、組合長の男性は肩を落としていた。70代だという組合長、管理組合とはいっても名ばかりで彼ともうひとり、90代の男性と80代の女性と三人を中心に切り盛りしているという。都内の不動産屋にコロナ禍の賃貸、投機目的の外国人に関する取材を協力してもらっていたところ「ヤバいマンションがあるけど見る?」と言われて車で案内された。廃墟を想像していたが言うほど見かけは古くない。しかし内情はボロボロだという。
「住人が生きてるのは確認してるけど、コロナもあって組合にはみんな顔だしてないね」
ということで実質的には組合長一人が奮闘しているということになる。しっかりしたマンションに住まわれている方々にはわからないだろうが、住民からも見捨てられた老朽マンションなどは管理組合が機能していないことが多い。とくに罰則はないし、区分所有者さえいれば何もしなくても管理組合は成立する。もちろん総会は組合長とたまに数人が茶飲みがてら参加してくれるだけで、それすらコロナで途絶えたという。
「まともな管理会社から断られるようなところだよ、だから俺が組合長で管理人みたいなもんだな」
日本中、こうして老朽化した中小規模マンションが時代に取り残されている。例えば「埼玉や千葉でボロくて安いファミリー向けのマンションを」と不動産屋に言えば案内してくれるはずだ。限界地域ならぬ限界マンションとでも言うべきか。
「エレベーターもこの通りだよ」
ギシギシとロープの音だろうか、時おり悲鳴のような音まじりのエレベーター、張り紙の剥がし跡だらけでところどころ凹んでいる。チンという古めかしい到着音とともによっこらせという感じでドアがゆっくり開く、足元を見ると、床とエレベーターがちょっとずれている。落書きを消した跡やらシールを剥がした跡など、エレベーターの中も古色蒼然だ。