だいぶ昔のことなので美術館名も作者名も記憶にないのだが、タイトルに一瞬惹きつけられた。『ヨーロッパの略奪』とあったからだ。大航海時代に、ヨーロッパ勢はアメリカ大陸やアフリカ大陸で略奪を働いたが、その蛮行を描いた絵なのか。逆に、モンゴルやトルコのヨーロッパ侵寇を描いたのか。と思って絵を見たが、それらしい描写はない。美しい女性が逃げまどっているだけだ。ああ、これはギリシャ神話の『エウローペの略奪』のことだと気付いた。ゼウスが牡牛に変身して美女エウローペを連れ去る話なのである。
英文のタイトルにも驚いた。The Rape of Europaである。美術品のタイトルにRape(強姦)とあるのも意外だったし、この語には「略奪」の意味があることも知った。
今年正月、三重県立美術館の関根正二展に行った。この美術館の雰囲気も展示作品もすばらしかった。関根正二は、青木繁と並んで私のお気に入りである。関根の代表作『信仰の悲しみ』は既に大原美術館などで何回か見ているが、戦慄に近い感動を覚える。
今回時間をかけて鑑賞したので新しい発見があった。
将来の国宝候補に挙がるこの傑作、もとは『美しき国土』というタイトルだった。友人の助言で『信仰の悲しみ』に変更されたという。こちらの方が断然いい。しかも、キリシタンの殉教を描いたように見えるこの絵は「日比谷公園の公衆便所から女性の群が出てくる幻影を見た」(図録)のをもとにしたのだ、という。聖と俗の混淆。天才の狂気とも言える飛躍をキュレーションによって知った。
【プロフィール】
呉智英(くれ・ともふさ)/1946年生まれ。日本マンガ学会理事。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。
※週刊ポスト2020年10月16・23日号