今年のプロ野球は、セ・リーグは巨人の独走、パ・リーグもソフトバンクが安全圏に入りつつある。こうなると注目は個人のタイトル争いだが、過去にはタイトルを争うチームメイトへの“援護射撃”として、ライバルに打たせないよう敬遠するなど、物議をかもす仁義なき戦略も繰り広げられた。
『週刊ポスト』は10月26日発売号で、「醜きタイトル争い」の歴史を特集しているが、そこで紹介しきれない球史がまだまだある。
これは比較的新しいエピソードだが、2014年のパ・リーグでは、夏ごろからオリックスの糸井嘉男と楽天の銀次が激しく首位打者を争っていた。
9月下旬になって打率トップに立った銀次は、“逃げ切り”を狙って9月23日から6試合を欠場した。この年の楽天は最下位争いに低迷し、銀次のタイトルは数少ない明るい話題だった。ファンの期待も大きかっただけに、星野仙一・監督もどうしても獲らせたかったのだろう。
ところが、優勝争いをしていた糸井はそこから集中力を発揮し、23打数10安打と打ちまくって9月27日に首位打者を奪い返した。銀次は9月30日に再び2毛差をつけて抜き返すが、糸井は10月2日の天王山となったソフトバンク戦で2安打して再々逆転。ここでソフトバンクの優勝が決まったことで、死球も受けていた糸井は残り試合の欠場を決めた。
5厘差を追う銀次に残された逆転のチャンスは残り3試合。まだまだわからないようにも思えたが、そのうち2試合の相手は糸井のいるオリックスだった。10月4日のオリックス戦では、少しでも多く打席に立てるために、星野監督は銀次を1番ファーストで先発させたが、オリックスはまともに勝負せず、5打席連続四球に終わった。