最終戦もオリックスなので結果は見えていた。となれば、残されたチャンスは次戦の日本ハム戦だけだったが、この時点で逆転のためには5打数4安打以上が必要となり、万事休す。結局、糸井が.331、銀次は.327に終わり、4厘差で糸井が首位打者に輝いた。オリックスにとっては、2000年のイチロー以来の首位打者であり、ファンは大いに盛り上がった。
どちらも立派な成績ではあるものの、試合に出ないとか敬遠気味の四球連発など、なんとなく後味の悪いタイトルになった。当時、星野監督の下で楽天の投手コーチを務めていた佐藤義則氏はこう振り返る。
「あの年の後半はブルペン担当だったが、銀次にタイトルを獲らせてやりたかったので、投手陣には“糸井には打たれるなよ!”とハッパをかけましたね。星野さんは敬遠合戦のようなことは嫌いなので、勝負はするが絶対に打たせないというピッチングをさせました。打たれたら罰金? そこまでは決めてなかったけどな(笑い)」
糸井を敬遠しろという指示はなかったのか問うと、「もっと僅差なら絶対なかったとは言わないけど、敬遠するか勝負するかはチームカラーにもよるんじゃないですか」(佐藤氏)とのこと。闘将・星野監督は、もしかすると銀次以上にオリックス戦の5四球を悔しがったのかもしれない。
取材・文/鵜飼克郎(ジャーナリスト)