当然、こういった迷惑行為に及ぶ高齢者はごく一部、人数あたりの割合で言えば、まだ体力にも余裕のある中年や若年層の方に「迷惑な人」は多いのかもしれない。だが、若年層の迷惑行為は大声で非難しても誰も咎めない。しかし、老人は敬うべきという空気があるから、反論しづらいのが事実。そのため、あえて見過ごしたり、情けを見せればつけ込まれ、軒を貸したつもりが母屋まで取られる、といった事態にまで発展する。
いや、そもそも、公園も公民館などの公的施設は、広くみんなの物に違いないはずだ。それなのに眼前のものなら何でも卑しく自分の方へ引っ張ろうという姿は、マスクやトイレットペーパーを我先にと買い占めた人々たちと同様だ。助け合って皆で乗り越えるべき難局なのに、分断を深めるようなことをしたり、それを見過ごしてもよいのだろうか。
皆で協力し合って、コロナ禍を乗り越えよう、という声が、半年前より小さくなっているように思うのは筆者だけではないはずだ。ここで触れた高齢者に限らず、他人の行為ばかりをあげつらい、自身を棚上げする。問題が起きるとまず「おまえのせいで感染したらどうする、責任を取れ」と迫る。どうしようもないコロナ禍のつらさを、どうにか第三者のせいにして溜飲を下げようとしているようにも見える。
コロナウイルスの感染拡大は、1波2波ときて、今は第3波と言われている。その度に、人間の嫌な部分がこれでもかというほどに抉り出される。コロナのストレスより、そうして現実を目の当たりにすることの方が辛い……そんな人も少なくないのではないだろうか。