無表情なのに表情豊か
トークイベントには、ロボット研究者の吉藤オリィさんもいた。彼とは3年半ぶりだった。ある介護専門誌の取材で、彼が開発したOriHimeという分身ロボットに会いに行ったことがある。無表情なロボットと対面すると、不思議な感覚に陥った。そのロボットを遠隔操作している若者が、本当に目の前にいるように感じたのだ。これは、ズームでのやりとりともちょっと違う。よりリアルに、その場を共有しているような感じがした。
その若者は、4歳の時の交通事故で、首より下は全く動かすことができなかった。だが、オリヒメという身体を得ることで、盛岡の自宅にいながら、吉藤さんの秘書として働くことができたし、全国で講演することもできた。生まれて初めて働いた、とうれしそうだった。彼はその半年後に急逝した。残念である。
それにしても、ロボットの顔はのっぺらぼうなのに、遠隔操作している人そのものが個性豊かに投影されるのは、不思議なものである。
コロナ禍で、マスクが当たり前になった。町で会っても、誰が誰だかわからない。このマスク社会が暗示するのは、顔や社会的な肩書、年齢といったものが示す表層的な「らしさ」が取っ払われた未来の社会なのではないか。そんな気さえしてくる。
だとすれば、これからぼくたちは、「らしさ」なんかにかまっていないで、もっと本質的なところで勝負する生き方にシフトしていく必要がある。
デジタル化が進むと逆年功序列社会になる?
一般に世の中は、年功序列で動いている。体育会系や芸人の世界は特に厳しそうだ。そのなかで、「風俗業界は逆年功序列」と鈴木さんは言う。鈴木さんによると、風俗では、1日目が一番価値が高い。価値は歳とともにどんどん下がっていく。これに抵抗するには、SMとかいくつかの技を持つと、少しだけ価値を持ち直す。うーん、なるほど。
「機械も、新しいものほど価値がある」と言うのは吉藤さん。これも確かにそうだ。新製品ほど市場価値が高い。そして、その機械による変化に対応できる力は、年配の人よりも、若い人のほうがはるかに高い。
政府は、社会変革につながるデジタルトランスフォーメーション(DX)の投資促進のため、企業のデジタル投資について投資額の最大5%を法人税額から差し引くという方針を示した。日本は、この10年デジタル化がかなり後手に回っていたので、何とか生き延びてこられたオジサン、オバサンたちも、これからはつらい時代がやってくる。
逆年功序列社会に飲み込まれないように、若い世代に教えを請い、スキルを習得するしかない。少なくとも年長ということに胡坐はかけなくなってきた。