そんな伊集院版忠臣蔵は導入からして意表をつき、貞享元年の5代将軍綱吉の謁見当日、大老堀田正俊を稲葉石見守正休が斬りつけ、その場で成敗された、江戸城史上3番目の刃傷沙汰で始まる。石見守は〈天下のため、お覚悟めされよ〉と堀田に囁いたとも言われ、早急な処分(切腹)には反論もあったが、この時、誰もが敬遠する石見守の葬儀に素行の名代で列席し、水戸光圀に姿を見られてしまうのが、若き日の大石良雄だ。
「その17年後、今度は勅使饗応役を務める浅野内匠頭長矩が指南役の吉良義央を斬りつけて切腹を命じられたわけだけど、特に綱吉の時代は大名家取潰しが多かった。要は財政に窮した幕府が問題のある藩を改易に追い込んで利権ごと召し上げた。その不穏さを察知する憶病者を私は書きたかった。つまり〈弱虫、泣き虫、竹太郎〉です。
朱子学を批判して江戸を追われ、一時赤穂にいた素行が認める逸材が大石だったのは間違いなく、そこに私は恐怖の要素をプラスした。競走馬の走力は恐怖心が左右するし、マイク・タイソンの元コーチも言ってますよ、恐怖心こそが五感を覚醒させるって。
その点、赤穂の塩もいずれ狙われかねないと慄き、〈仁助〉たち間者を使って万一に備えるこの大石は自分でも珍しくよく書けたと思う。妻の理玖にも妾の〈かん〉にも優しい艶福家の彼が、遠方から嫁いだ新妻の足を初夜の床で揉んでやり、彼女が昔、木から落ちたと聞いて〈豊岡では、娘は木にのぼるのか〉と返す台詞なんて私は好きだな。時代小説は色気も大事ですから」
人は奇跡に恋い焦がれる
〈怖れ〉を身に纏うことは弱さとは違うとの教えは、令和の今、一層切実に響く。
「たぶん元禄と今は似てるんです。武家社会や政治が行き詰まり、金に精神まで侵された連中が元々人から盗んだ富を奪い合う一方、自分がどう生きていいのか、めざす姿が見つからなくて、特に若い人が困っている」
そんな時代に大石は言う。〈禄とは、殿、すなわち君から頂戴した“信”をかたちにしたものです。禄を金と考えると、そこに多寡が出てきましょう。しかし、禄には大小も、不足すらもない〉〈君なくば臣ならず。“忠義”なくば臣ならず〉