高校1年生、まだ16歳という若さで血液のがん・悪性リンパ腫を発症。入院、闘病生活のなか「医師になって子どもたちを助けたい」と復学後も通院治療を続けながら、医科大学へ進学。かつて自分を助けてくれた命の恩人でもある主治医と共に働く医師がいる。ライターの服部直美氏が、一般社団法人AYAがんの医療と支援のあり方研究会(AYA研、LINE IDは@ayaken)発起人の一人である松井基浩医師に、医師を志したきっかけと、若年性がん患者が持つ悩みについて聞いた。
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東京都立小児総合医療センター、血液・腫瘍科の医師、松井基浩さん34歳。スポーツ好きで健康そのものだった松井さんは、高校1年生の秋、風邪のような咳が続き、食欲が落ちていったことを不思議に思い、地元の大きな病院を受診する。いまでも、あのとき聞こえた母の声音が忘れられない。
「がんセンターを紹介してください」診察室から聞こえた母親の声に不安がよぎった。翌日、紹介された国立がんセンターでの詳しい検査で、血液細胞に由来するがんの1つで、白血球の1種であるリンパ球ががん化した病気「悪性リンパ腫」のステージIIIであることを告げられる。
毎日が楽しいはずの思春期の少年にとって、はじめて死を意識した瞬間だった。「どうして自分が……」一晩中泣き、言葉に表せないほどの押し寄せる不安、強い苛立ち、憤り、その思いのすべてを両親に強い言葉で投げつけるしかなかった。
「特に母親には、すごく当たり散らしました。緊急入院したから学校へも行けなくなって。当時、がんは死と直結しているイメージしかなくて……死ぬのか、そんなことばかり考えていました」
病室ではカーテンも心も閉ざし、落ち込むだけの日々。同級生は学校へ行って友だちと楽しく遊んでと日常を変わりなく過ごしているのに、自分だけ病院にいる。家族以外に胸の内をぶつけることもできず、十代の大切な時間を突然奪われたショックから誰とも口をきかなくなった。
心を閉ざし、自分の殻に閉じこもっていた松井さん。だが、小児がん病棟にいる自分よりもっと小さな子どもたちは、毎日、底抜けに明るく、そして自分の病気をきちんと理解し、治療を受けていた。
「仲良くなった小学校5年生の男の子は、治療で足を切断しなければいけなかったんです。でも、そんな現実をしっかり受け止めていた。自分が恥ずかしくなりました」