コロナ禍で多数の芸能人がYouTubeに参入し、盛り上がりを見せるYouTube市場。YouTuberといえば、再生回数やチャンネル登録者数によって「稼げる」という認識も浸透するなか、黎明期からいち早くYouTubeに目をつけ、ビジネス系YouTuberとして活躍したのがマックスむらいだ。
マックスむらいは、2008年にiPhoneやiPadに関する情報サイト「AppBank.net」を立ち上げると、12年に「AppBank」を法人化。同企業の役員でありながら、2013年からはYouTuberとして活動を始めた。
2014年頃には『パズル&ドラゴンズ』(パズドラ)や『モンスターストライク』(モンスト)といったソーシャルゲームの実況動画が人気を博し、チャンネル開設1年弱で登録者数100万人を達成。一気にHIKAKINとも並ぶトップYouTuberに上り詰めた。当時の動画からの収益について、後年、最高年間2.5億円だったことを明かしている。
2015年には上場を果たすが、その後元役員の横領事件を公表して大炎上。最盛期には数百万あった再生回数が数千~数万程度にまで急落する憂き目に遭いながらも、謝罪動画などで徐々に挽回し、いわゆる“やってみた”系、“ドッキリ”系など〈YouTuberらしい〉動画へのチャレンジで人気を取り戻していた。そんな矢先である昨年7月に「今後の活動ために一区切りをつけたい」と休止を発表。同年9月から、山コンテンツの動画配信を始めている。
休止後の復帰動画では、人生は「10年スパン」で考えているといい、「これまでの10年はスマホと動画の10年だった」と振り返る。そして、今後の10年間は、自然、農業、メイドインジャパン、アートといったことをテーマにするとし、楽しんでもらえて、かつ生活が豊かになるようなコンテンツ作りをしたいと説明していた。
もともと実業家であるマックスむらい。群雄割拠のYouTube界で、トップも地獄も味わったマックスむらいが見据えていることとは--。現在の山での取り組みや、今後ビジネスにおけるYouTubeの役割について、話を聞いた。
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マックスむらいがYouTubeに“参戦”した理由
YouTubeが「好きなことで、生きていく」という初めてのテレビCMを流したのが2014年。その第一弾がHIKAKINさん、バイリンガールさん、私です。
そのCMが放映された時点で「YouTuber」という単語はなく、〈YouTubeで好きなことを公開する〉という考えはあっても、〈You Tubeの収入で生きていく〉といった概念で活動してる人はまだまだいませんでした。
――元々、どのような思いでYou Tubeチャンネルの運営を始めたのでしょうか。
私は2000年から仕事をしていて、だいたい10年スパンで何をやろうか決めていて。最初の10年はITをゼロから学びながら、営業マン、役員も経験しました。次の10年はAppBankが中心で、最初の5年はスマートフォン、次の5年はゲームなんです。
当時、You Tubeでは、HIKAKINさんのように、好きなことを発信したい、伝えたい、これが自分の生きざまだ、みたいな感じで発信をする人はいました。一方で私は、あくまでも、ビジネスでやっていたスマホのアプリ紹介ブログの延長線上でYou Tubeを捉えていました。