「入社してすぐ、ヤバい、辞めようと思いました。売れない子たちが大きくなって、ショーケースにぎゅうぎゅう詰めでした。店は都心のど真ん中、とても狭くて自由に放す場所もありません。大きくなった子は店の奥、下の段に入れられますが、5万円でも売れません。店のスタッフも餌をやるだけ。でも、どの子も噛んだり吠えたりしない、おとなしい子でした」
たくさんの子が大きくなっては店から消えました
まだ2013年施行の改正動物愛護管理法前、幼齢の犬猫の販売制限もなければ、終生飼養すら明記されていなかった。ショーケースの基準もなかったので、ムギさんの言う通り大型犬が身動きできない状態で売られることもあった。筆者も15年くらい前、歌舞伎町の某店舗でそんなブルドッグやレトリバー種を目撃している。売れない犬や猫を自治体の保健所という「無料処分施設」に送りつけて在庫一掃なんてことが平気でまかり通っていた。
「店長は怖い人でした。あとで聞いたら本当に怖い関係の人でした。社長も実は雇われみたいで、本当のオーナーのことはわかりませんし聞いてもはぐらかされました。威圧的な幹部ばかりで、女性の副店長はいつも私たち店員を怒鳴ったり、酷いと小突いたりしてました」
昔の話だから構わないだろうが、一部ペットショップは反社会的勢力の資金源だった。日本における生き物を扱う仕事と反社の関係は長い歴史がある。明治時代から日本には「畜犬商」という商売があった。いまで言うブリーダーの元祖だろう。それと平行して、「犬屋」という商売もあった。これをペットショップの元祖と言っていいか微妙なところだが、生まれた子犬を引き取って売る商売である。戦後では1960年代、血統書付きの犬が投資になると称して事業を拡大し、1970年に出資法違反の疑いで捜索、社長が詐欺で有罪となった東京畜犬、1990年代にはブリーダー詐欺のあげく殺人事件にまで発展したアフリカケンネル、いわゆる埼玉愛犬家連続殺人事件など、どこかグレーな部分を引きずっている。事件化は極端かもしれないが、命の売買は綺麗事ではない。
「そうです。綺麗事じゃありません。たくさんの犬や猫、小動物が仕入れられて、全部が売れるわけがないのですから。売れなければ処分です。殺すんです」
殺すとは直接的に店員がするわけではない。昔はきっちり殺せる店員がいたと1980年代に個人で鳥獣店を経営していた老人から聞いたことがある。鳥獣店とは若い人には馴染みがないかもしれないが、古くは鳥を專門に扱う「鳥屋」だったものが戦後になって小動物も扱うようになった昭和の個人店である。現在も地方に行けば「○○鳥獣店」と屋号のついた小さなペットショップを見かけるかもしれない。
「たくさんの子が大きくなっては店から消えました。1歳過ぎたらまず見込み額では売れません。でも保健所へ連れていけば簡単に在庫処分ができますからね」