入団当初の江夏は必ずしもコントロールの良いピッチャーではなかった。これは知られた逸話だが、コントロールを養うために、床に寝転がってボールを空中に投げ上げ、天井ぎりぎりで戻ってきて手に収まるよう練習を重ねたという。手が小さく指も短かったという江夏は、そうやって指先の微妙な感覚を養ってコントロールを身に付けていった。そのうちボールを思い通りに操れるようになり、剛速球とカーブという単純な球種だけで並みいるスラッガーを手玉に取るようになった。
「王さんだけではなく、ピンチの時とかちょっと生意気なバッターには、普段のボールにプラスアルファした投球で勝負しました。100キロで投げているボールと同じ投げ方で110キロにして投げるとか。1試合に10球もないのですが、微妙にスピードやリズムを変えて投げていました。
サインではなく、ちょっとした仕草で伝えると、“わかった”という感じでしたね。江夏は基本的にサインに首を振ることはなかった。試合では首を振っていましたが、あれは実はバッターを惑わすためだけの芝居でした(笑)。よく考えればわかるのですが、真っすぐとカーブしかないのに、2回も3回も首を振る。一体何に首を振っているのかわかりませんよね(笑)」
江夏は終生、ホームランを打たれることが一番嫌いで、打たれるとものも言わず、怒りのオーラに誰も近づけなかったという。辻とのバッテリーを組んだ1968年に、シーズン最多奪三振の記念すべき新記録の三振を王から奪った試合の「とんでもない勘違い」のエピソードは『週刊ポスト』で再現されている。