ベストセラー『神様のカルテ』で知られる作家の夏川草介氏は、長野県で地域医療に従事する現役内科医でもある。勤める病院は感染症指定医療機関としてコロナ患者を受け入れ、夏川氏は診療の最前線に立った。その経験をもとにしたドキュメント小説を書き上げた今、初めてコロナ病棟の実態、医師としての苦悩を明かす。
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私はこの春、一冊の本を上梓した。『臨床の砦』と名付けたこの書籍は、コロナ診療を題材に取った長編小説である。
いまだ感染の収束も見えていない時期に、なぜ診療の合間を縫ってまで執筆をしたのか。自分でも正確な理由はわからない。格別の使命感があったわけではない。一介の内科医にすぎない私に、感染対策に対する特別な提言があるわけでもない。けれども、世の中のほとんどの人が知らない異様な医療現場に立ち会っているという、ぞっとするような確信だけは胸の内にあり、この景色を伝えることに意味があるのではないかと感じたことは事実である。
今ここで何を述べても後付けになるかもしれない。もとより総括的なことを口にするのは早すぎる時期だ。ただ、コロナ診療の最前線で何が起きていたのか、私なりの考えを交えて、少しまとめておこうと思う。
驚くほど高い確率で陽性
令和三年一月、私はいまだかつて経験したことのない医療現場に立っていた。
外来は他院で診療を断られた発熱患者であふれかえり、病院前の小さな駐車場は絶え間なく訪れる患者の車列で移動も困難なほどになっていた。来院者の誰もが感染の恐怖におびえ、励ましながらPCR検査をすれば、驚くほど高い確率で陽性が確認された。
感染症病棟はまたたくまに満床となり、病棟は、定員を超えて患者を受け入れている状態であったが、ニュースでは病床使用率50パーセントと報道され、患者から「残りの50パーセントのベッドを空けてくれ」と懇願されたこともある。正真正銘、どこにもベッドがないのだと説明しても、理解を得ることは困難であり、ときにiPadの画面の向こうから、怒声が返ってくることさえあった。
ほとんどの医療機関が拒否
かかる悲惨な状況であっても、近隣の医療機関からの助力はほとんど得られなかった。敢えてはっきりと言えば、一施設を除いて、すべての医療機関がコロナ診療を拒否していた。入院受け入れを拒絶するだけでなく、発熱があれば、骨折患者であろうと膀胱炎の患者であろうと、診察もせずに当院に送り込んでくる状況であった。文字通り、経験したことのない医療現場であったのだ。