恐怖心を抱いた「スーパードライ」の登場
──野瀬さんがサッポロビールに入社した翌年(1987年)、アサヒビールから「スーパードライ」が発売され、大ヒットとなりました。入社後は東京支社の新宿区で営業をされていたとのことですが。
野瀬:はい。当時、世間では「生のサッポロ」というイメージが浸透していて、私も生ビールの味に定評があったサッポロビールを就職先として志望しました。ビールメーカーはシェア争いも激しい業界ですが、競争で勝った負けたの数字が如実に出る業界がいいと思っていましたから、やる気に満ちていました。
ただ、「スーパードライ」が発売された瞬間から様相が一変しました。さまざまな飲食店にもみるみるうちに「スーパードライ」が入り始めて、入社2年目の私でも「これ、ちょっとやばいぞ」と、大変動が起こったことによる恐怖心を感じていました。
──そんな中、サッポロビールは1989年、「黒ラベル」(当時の商品名は「サッポロびん生」)を販売休止にし、「サッポロドラフト」を新たに発売したこともありました。
野瀬:「スーパードライ」と比べて当時の「びん生」は、どっしりした味わいで少し重たいビールという印象が強くなっていました。そうした印象はお客様だけでなく、当時の私も感じていて、「このままではダメかもしれない」と思いました。
そして1989年2月に「ドラフト」が登場するわけですが、われわれは「びん生」を止めて出した新商品というより、「びん生」のエッセンスを引き継いで時代の変化にアジャストした“リニューアル商品”という感覚だったんです。
確かに味わいはスッキリタイプに寄せはしましたが、お客様の受け止めはそうではなかった。飲食店からも、「なぜ止めたんだ」と叱られ、どう説明してもご理解いただけない。「勝手に商品を止めるんだったら、オマエのところとはもう付き合わない!」とあちこちで言われました。
結局、半年後には「びん生」の愛称を商品名に変えて「黒ラベル」として再発売したのですが、この混乱を通じて、商品やブランドはメーカーのものではなく、お客様のものなんだということを痛感させられましたね。
よく考えれば、「びん生」を止めてしまったのは、リニューアルという名の自社都合であり、まったくもってお客様起点ではなかった。その当時の肌感覚や学習効果は、いまも私の中で活きています。