病院に電話をして容体を尋ねると、「ほとんどの時間、寝ています」と言うばかりで変わらない。なら、最後のときくらい自宅で過ごさせてやりたいと、そう思ったわけ。
東京在住の私が母親を茨城の実家で看るための条件は、ワクチン2回の接種が終わっていることと、帰郷直前にPCR検査をしてくることだ。それをクリアして母親を介護タクシーに乗せて家に連れてきた。8月上旬のことだ。
いやもう、あのときの衝撃を思い出すといまでも悪寒が走る。車椅子の母親はまるで人間の抜け殻で、話しかけても何も反応しないサイボーグ婆さんだ。それを看護師は、「今日は最高に調子がいいんです。普段はほとんど昏睡状態と言ってもいいくらいですから」と言うの。
それだけでも弟夫婦と私を黙らせるに充分だったけど、自宅の介護ベッドに寝かせてすぐ、初めて母親のオムツを外したときの衝撃と言ったらない。
シモの世話をすることは覚悟していたけれど、目と鼻を襲ってきた現実を前に、覚悟なんてなんの役にも立ちやしないわよ。しかも母親の目の焦点は合わず、「おとうちゃ~ん、おかあちゃ~ん」とうわ言を叫んで、さらに私たちを絶望の淵に落とし込んだ。
それがどうしたことか、翌々日から回復して、いまは普通に話し、笑う。介助すればポータブルトイレを使えるようにもなった。私もだんだん介助の要領がつかめるようになってきた。
そんな私に母親は「はあ(もう)、病院は行きたぐね」と言うの。「行くごどねぇよ」とニワトリみたいになった手の甲をなでてやったら、「そしたらまだヒロコと一緒に居られんな~」と殺し文句。
親の介護は、強いていえば「囚(とら)われ人」になったようなもの。無期懲役とはこんな感じか、と思うこともある。私の場合、自ら志願したから入隊かしら。
任務は、食べさせて、出させて、その始末をすること。以上。赤子の自分がやってもらってたことよ。なのに、まず最初に嗅覚が鋭くなって、自分の食事の時間が見つからないんだわ。
夜、何度も起こされて、そのたびに母親の体を持ち上げてトイレ介助をするから、私自身がちゃんと寝られない。そうなると人間、ゆとりがなくなるのね。「食べられない? いいじゃない、ダイエットできて」なんて言われると、ああ、そうか。食べなきゃいいんだな。食事、やめた!!と、バカなことを考え出すのよ。そのゆとりのなさは、いまでも時々顔を出す。