「『ドーハの悲劇』を目撃した世代と、それより下の世代では、カズ選手への思い入れが分かれるのです」
カズは23才の1990年に日本代表入りすると、すぐにゴール連発でエースに君臨。1993年のサッカーW杯米国大会アジア予選でも9ゴールを決めて、悲願のW杯初出場へ代表をけん引した。ところが、グループ1位で本選出場に王手をかけて臨んだ最終予選の最終イラク戦。ここでも1ゴールを決めるも、ロスタイムの失点で引き分けて、まさかの予選敗退。これが世にいう『ドーハの悲劇』だ。
4年後には、見事なリベンジでW杯初出場という日本の悲願は成就した。しかし、カズはフランスW杯の直前合宿終了時に、最終メンバー選考でまさかの落選。生涯の夢だったW杯の舞台には立てなかった。
「カズ選手は、サッカー界だけにとどまらず、Jリーグ発足当初の日本で初の国民的サッカーブームの悲劇の主人公だったのです。だから、1990年代をリアルタイムで見ていた日本のサッカーファンには、永遠に特別な存在なのです」(前出・スポーツ紙のベテラン記者)
当時を知るファンたちは、カズが永遠に叶わぬと分かっていてもW杯の幻影を追い続けて、ストイックに鍛錬に励み続ける姿を、理屈抜きに応援できる。それでも、カズの全盛期を知らぬ人たちにとっては、ただの老害ということだ。
「でも、世代間ギャップだけではないかもしれない。前澤友作さん(46才)が、自費で夢の宇宙旅行をしたことにも批判が飛ぶように、この令和は『許容』や『特例』は認めずに、逆に同調圧力をかけたがる時代。どんなに功労者であっても、カズ選手のような『例外』は認めない人たちが増えているのでしょう」(前出・スポーツ紙のベテラン記者)
もはや、美談が美談にならない時代になってきたのかもしれない。