1970年代後半に彗星のごとく現れ、40年以上たったいまも日本の音楽シーンに強烈な印象を与え続けているシンガーソングライターの中島みゆき(69才)と松山千春(66才)。3才違いで同じ北海道出身。ほぼ同じ時代を生きてきた二人はどのように誕生し、数々の名曲を生み出すトップシンガーとなったのか。二人をよく知る人々の証言を基に、その軌跡を辿ってみよう(全3回の第3回)。
活躍の場はテレビではなくラジオ
中島が『オールナイトニッポン』のパーソナリティーになったのは、1979年4月から。歌で見せるミステリアスで凜とした雰囲気とは違い、ラジオでは「ガハハ」と明るく笑い、軽妙な語り口で、「歌っている中島みゆきとホントに同一人物?」とファンを驚かせた。
1978年3月、中島と松山の二人はこのラジオ番組でついに共演を果たす。芸能ジャーナリストの渡邉裕二さんは、当時のやりとりをいまでも覚えているという。
「千春の『オールナイトニッポン』に、突然、みゆきさんが乱入したんです。千春は『なんだお前!』って、みゆきさんは3才年上なのに呼び捨てにして、じゃれ合っているところがオンエアされたんです。ファンの間では二人が仲がよいことは知られていたのですが……」(渡邉さん・以下同)
その仲のよさから二人の交際が噂され、「友情結婚」などと雑誌などで取り沙汰されることになる。これは中島がエッセイで否定しているが、実際のところはどうだったのか。
「お互い人気があり、ラジオであれこれ言い合っていたから、メディアが二人の仲を囃し立てましたが、ぼくが思うに、仲がいいことは確かでしたが、交際に発展するまでではなかったんじゃないかな。音楽性も違うし、だから逆に何でも言いやすかったのかもしれませんね。同じ北海道出身で、詞の世界に共感・共鳴するものもあったのだろうと推察します」