人気の時代小説、とくに江戸時代を描いた作品には、美味しい料理が欠かせない。江戸料理・文化研究家の車浮代氏が、たらふく白米を食べ、初物に目がなく、鰻屋でしっぽり食を楽しめる時代である江戸時代の食文化について解説する。
江戸に食文化が花開いた背景
江戸初期、人口の8割ほどは男性だった。町づくりのため、各地から集められた大工や人足、参勤交代で地方からやってくる幕臣たち、新しい町で一旗揚げようという商人や職人が集まり、徳川家康の地元である三河地方の、味噌を主にした塩気の多い、素朴な食事がなされていた。
やがてさまざまな産業の生産性が高まり、上方からの流通が盛んになり、煮炊きをする女性の数も増加。大火後の突貫工事の現場付近に屋台が立ち並び、一膳飯屋などができ始めた。外食産業が花開くとともに、庶民が食事を選び、楽しめる時代が訪れたのだ。
1日3食が始まり、米は1日5合
1日3食が定着したのは元禄期以降。大きな理由の一つは照明油(菜種油など)の普及により、人々の1日の稼働時間が長くなったこと。その分、それまでの朝夕2食では体が持たず、昼間に1食増やすようになった。白米が食べられることを誇りにしていた江戸の成人男性は、1日5合もの飯を食べたとされる。