全国400万人の発症者がいると言われる脊柱管狭窄症。“単なる腰痛”と思って医師の診断を受けていない推定発症者数も含めると500万人超とも言われている。壮絶な痛みとの闘いを生き抜いた藤波辰爾さん(68)の体験談を取材した。
今年でデビュー52年目を迎えるプロレス界のレジェンド、藤波辰爾さんが発症したのは1989年6月のことだった。
「身長190センチ超、体重約150キロのビッグバン・ベイダーとのシングルマッチでね、バックドロップをまともに喰らった。その時の角度がね、尋常じゃなかった。くの字に体が曲がった瞬間にヤバいって感じた。腰から下に電気が走るような痛みが走ってね。
レントゲンを撮ったら、髄核(椎間板の中心にあるゲル状の組織)が出て神経を刺激していると説明された。通常の椎間板ヘルニアですね、と。手術する方法もあったけど僕らレスラーは、腰にメスを入れるのが良くないっていうのがほぼ常識みたいに言われていたから、僕も手術は避けたかった。だからなるべく手術をしない方法で、整体師とか鍼とか、ときにはお祓いまでやった(笑)。
リング外ではコルセットやゴムチューブを巻いたり、痛み止めを打ったりもしたんだけど、一番効いたのは医者から処方された座薬でした。完全に痛みは取れないけど、多少は緩和される。
試合の2時間前にお尻から薬を入れると、試合のころにちょうど効いてくるんです。地方巡業には必ず座薬を持っていった。あとは自宅、事務所、家内の実家とか、どこで痛くなってもいいように、各所に座薬をストックしてましたね(笑)。
家内からしたら『そこまでやらなきゃいけないの? 少し休めば』ってね。でもそんなおいそれとは欠場できないし、何よりやっぱりリングに立ちたい。そういう生活が20年近く続きましたね」
2015年にいよいよ足が動かなくなり、手術を決意。その頃にはヘルニアと脊柱管狭窄症を併発していた。術後は座薬も手放し、今も現役だ。
「全盛期はとっくに過ぎてるけど、リングを降りる決心がつかない。それだけプロレスが好きなんですね。本来は健康を壊すのがプロレスラーの仕事だけど、今は健康のためにプロレスをするってのが私の心境です(笑)」