朝ドラの歴史のなかでも秀作として語り継がれるのではないだろうか。ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が分析した。
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NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』がとうとう終わってしまった。「ロス」という言葉でごまかすことができない喪失感に包まれている視聴者も多いはず。無駄なキャラクターは1人もいなかったし、小さなエピソードもつながり伏線は確実に回収されていく。そんな心地よさに満ちていた。とはいえ振り返れば、「異色だらけ」の朝ドラでした。
まず、主人公が一人ではなく三世代にわたる。子-母-祖母のファミリー100年を描き出す時の幅。しかも最終週のタイトルには「2003~2025」とあって、なんと2025年の未来まで描いてしまった。こんな朝ドラ見たことない。未来へのワープって、朝ドラでは禁じ手ではないのでしょうか。
また、「時空間を一気に行き来する」演出にも驚かされました。冒頭、コロナ禍の中らしきマスクの人々が映り2024年度から始まる新しい英語講座の話題が。しかし本編が始まると、いきなり20年程前に戻る。そんな「飛び技」も随所で自在に使いこなしていました。
「時」といえば、親と子、あるいは孫を同じ役者が演じるという飛び技も多用しました。銀幕スター桃山剣之介の親子2役を演じた尾上菊之助、ジャズ喫茶のマスター定一と息子の健一を演じた世良公則。荒物屋の親子2役となった堀部圭亮。きぬちゃんを演じた小野花梨
そもそも「時」といえば主人公・るいが象徴的。50才に近い深津絵里さんがうら若き10代の女性になって登場し、未来の白髪の老いた姿まで披露。時と戯れる主人公を深津さんが見事に演じ切りました。
物語の中には過去の歌謡曲や映画の引用等のパロディも盛りだくさん。まさしく「時」を楽しむ仕掛けがありました。いろいろと破天荒。しかし一番驚くことは、見ている視聴者にとって破天荒が全くマイナスにならなかったことでしょう。こんなに思い切った演出なのに違和感がなかったのだから不思議です。
たとえ説明がなくても時空間を飛んだとしても、十分にドラマは成り立つ。朝ドラの枠なんてあるようでないしその枠を破ったっていい。一人の主人公を軸にした物語を展開しなくたって視聴者は存分に楽しめる。そうしたことを次々に証明してみせてしまった。もはや、一人主人公のいつもの朝ドラへ戻ることができなくなりそう。
極端なことを言えば、『カムカムエヴリバディ』は固有の人間の物語という以上に、人と人をつなぐ「時」を描いた。そしてその「時」は、究極のテーマを伝えるための壮大な仕掛けだった。
では究極のテーマとは何でしょう? 「おいしゅうなれ、おいしゅうなれ、おいしゅうなれ」の呪文の中に隠されていたのでは。